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<life>fool</life>

愚者の人生。

ライブとか契約とか約束とか投壜通信とか、ただの日記。

 3月19日、友達のやっているunknown pleasuresというバンドのプチ遠征ライブに付いていった。千葉県は稲毛にある稲毛K's dreamというライブハウスである。ここは何度かお邪魔したことのあるライブハウスで、店長さんが熱心なカート・コバーンの信奉者らしく、カートの写真が沢山飾ってある。子供時代のカートは天使のようだなと思った。ステージも高くてかっこいいし、バーの雰囲気が良くてホットドッグが美味い。良いライブハウスだ。

 ライブはとても良かった。もう何度もライブを聴いているが、友達びいきを抜きにしてもかっこのよろしい音楽を鳴らしているバンドだと思っている。そして、対バンのThe Rueeというバンドがこれがまた最高だった。ドラムとギターの2人で演奏されているのだが、ギターがベースアンプ含めてアンプ3台という鬼畜仕様でポストロックという感じ。聴くのは2度めで、1度めはあまりピンときていなかったのだが、今回は最高だった。そこで鳴っている音のことだけを考えることができた。これはとても幸福な時間である。

 一説によると母親の胎内で鳴っている音はノイズ音に似ているらしい。僕はでかい音が好きで、ノイズミュージックが好きだ。鳴る音に脳みそをかき回される感覚はとても気持ちいい。安心を感じる。そのままどこかに飛んでいきそうになる。でも気持ちの良いノイズとそうじゃないノイズというのがあって、あの違いは何なのだろう。人柄?分からないけど、何かあるのだ。包み込むようなノイズの海に飛び込みたい。私は海を抱きしめていたい、という感じ。また聴きたいと思うバンドだった。

 契約は好きじゃない。契約には強制力があるから嫌いだ。たとえば僕が誰かに「また会おう」と言う時、その「また」は必ずやってくると保証できるだろうか。明日死ぬかもしれない。明後日死ぬかもしれない。自分か、あるいは相手が次の瞬間にはいなくなってしまうかもしれない。そういった場合「また会おう」の言葉を契約としてしまったら悲劇だ。達成されない契約ほど悲しいものはない。達成条件に至らなかった契約の行く末は自罰か他罰か。そういうのは息苦しくって嫌になる。とはいえ生きている以上、幾つもの契約を果たさねばいかんのはこれはもう、社会の仕組みがそうなっているので仕方が無い。仕方が無いといいつつ僕はいつまでたっても大人になれず、社会というものに対してやけっぱちのように舌を出しバカにして、死ぬ思いで遊んでいるけど。とか言うと太宰治だな。まあいいや。

 せめて、友達とかそういうのとは契約をしたくない。約束がしたい。約束は、果たされないことを前提にするものだ。たとえば誰かに永遠の愛を誓うとき、片方では常にその終わりを想っているような、そんな矛盾に遭遇したことはないだろうか。僕にとって、約束の形をとって放たれる「また会おう」の言葉は、常に「もう会えないかもしれない」を含んでいる。果たされないことを前提にしているのだから強制力は無いし重圧も無い。そこにあるのは祈りだけだ。
 人というのは元来が勝手気ままなものであり、何かを強制されることにはそぐわない。舞城王太郎は、愛は祈りだと書いていたが、それはまことその通りだと思う。心からの親愛というものは、相手に何かを押しつけないのだ。勝手に祈るだけである。そしてまた、果たされなかった約束はしばしば物語に姿を変える。だから約束はした時点で無駄がない。しておくだけするが良い。それは性質としては守る/守らないという言葉には帰結しないものなのだ。再見を約束した相手と二度と相まみえることが無かったとて、それを責める権利は本当は誰にもないのだ。責める気持ちが産まれたとすれば、それは約束でなく契約だっただけの話である。それってめちゃめちゃつまらないぜ。

 明日世界が終わるとしても、できるなら僕は約束がしたいと思う。人というのは、そういうどうしようもない切なる思いの表出によってしか生きられず、また誰かを生かすこともできないのだろう。

 パウル・ツェランという詩人がいる。ツェランは詩を投壜通信のようなものだと語った。荒れ狂う海を渡る航海者が、ついに遭難してしまうというときに、自分の名前や想いを記した手紙を壜に入れて海に投げ入れる。それは誰かに届くかどうか解らない。そのまま海中深くに没してしまうこともあるだろう。運良く岸辺に流れ着いても、誰にも気付かれず朽ちていくだけかもしれない。壜を手にとってもらえたとして、中を覗くかは解らない。それでも投げ入れられる通信、それが詩だと語ったのだった。そして今、ツェランの言葉は僕の手の中に届いている。届かなかった幾つもの手紙を背負って。

 そこには祈りだけがあった。
 そういうことなのだ。以上終わり。