<life>fool</life>

愚者の人生。

書欠

 鏡を見て狼狽えた。そこに映っているのは間違いなく自分であるはずなのに、まるで初めて見る人間のように感じたからだ。定まっていた世界がぐにゃりと形を変えたような気がして居間に戻ると中年の女が一人と若い女が一人いた。母であったはずの人、姉であったはずの人、確かに家族であったはずの他人たちがいた。親しみなんてない、他人だとしか感じられない、それがとても怖かった。小学校低学年くらいの頃だったように思う。

 ジャック・ラカン鏡像段階論に拠れば、人間の幼児は産まれてすぐの状態では自己と自己以外の世界の区別がつかないらしい。この段階では自己は世界と一体になっており、自分の体が個として統一されたものであると認識できない。幼児は鏡に写る自分の姿や他者の存在によって、集合体としての自分、『これが私である』という自我を形成していくのだという。これらの経験を経て自己の同一性を獲得するのが生後6ヶ月~18ヶ月くらい。だとすれば僕のあの経験はつまり、一度得た自己同一性を失ってしまった、ということなんだろうか。けど、僕はラカンをしっかり読んだこともないし鏡像段階論についても聞きかじりの知識しか持っていない。自分の体験と鏡像段階論が鏡というキーワードによって結びついている感じがするだけで、実際はてんで的外れな発想なのかもしれない。

 でも。『自己の同一性を失う』というのは怖いことだ。実際、子ども時代のことなんてほとんど覚えていない僕が、その経験については記憶からいつまで経っても消えていかないわけなんだから相当怖ろしかったのだ。なんとなく僕は想像してみる。たとえばあの瞬間『本来の僕』がポオーンとどこかに吹き飛んでしまって、たまたまその時その辺をふわふわしていた『今の僕』がこの身体に入り込んでしまった可能性を想像してみる。満員電車でたまたま目の前の席が空いたからこりゃラッキーとばかりに座るような感じだ。では、そのように魂の交換が行われていたとしたら『本来の僕』は今何処に居るんだろう?そいつはそいつでまた別の空白の身体を見つけてそこにすっぽりはまって僕と同じように鏡を見てうわ誰だこいつ、という体験をしたのだろうか?あるいは僕にもそいつにも解らない事象によってお互いの身体を交換してしまったのだろうか?あるいは『本来の僕』はただちょっと身体に縛られるのが億劫になって幽体離脱とか出来ないかなみたいな感じで背伸びしてみたら案外と簡単に抜け出ることができてしまってその隙を突くような形で僕に身体を奪われてしまって結果戻るべき場所を喪失してしまって今この瞬間にも恨めしそうにこの僕を睨んでいるのだろうか。
 だとしたら悪いことをしてしまった、なんて殊勝なことはあんまり思わない。人から何かを奪った意識なんてないし、僕は僕であの瞬間抱いた巨大な違和感から抜け出せないまま今に至るまで生きているわけで、本来魂と身体が不可分の関係にあるのであれば、居心地がいいわけがないのだ。

 ていうかそれってアレなんじゃないの?ただのメンタルの病とかなんじゃない?と、からかうように言われる。ほら、ググッたらなんか出てくるよ。つうか「鏡、自分が」まで入れただけでサジェスト出てくるじゃん、ウケるね。カラカラと笑いながら細い指がディスプレイを指差しているのが解る。ほらね「鏡、自分が自分でない感覚」だって。子どもを諭すような優しい声音がそこで不意に強張って、沈黙のあと、ほんの少しだけ、怒気とまでは云えないくらいのささくれだった雰囲気とともに言葉が継がれる。あのね、君はそれを特別な体験かなにかだと勘違いしてるみたいだけど、ていうか特別な体験かなにかだと思い込みたいのかな、まあどっちだっていいんだけどさ、実際のところそんな珍しいことでもないんじゃないんじゃないかな。それって子どもの時からずっとって訳じゃないんでしょ?そりゃあ今でもその状態が続いてますって言うんだったら、統合が失調してんのかなあ、とかさ。思ったりするんだけど。どう?

 答えられない。

 違和感はまああるにしても、鏡の前に立ったってそんな足元ぐらついたりさ、する?

 答えられない。

 同一性を失うとかさ、そういうので自分の現状を肯定してる、とまでは言わないけどさ、ぐうたらダラダラ生きてる理由にしようとしてない?それってなんていうかすごくダサいと思う。やめときなよ。そんな魂の入れ替わりなんて面白おかしい出来事は起こらないの。小説じゃないんだからさ。君が体験したことは確かに君にとっては何年経っても忘れられない、どっか心に引っ掛かるようなものだったんだと思うよ。けどさあ、なんかさあ。やっぱりね、君は君なんだよ。他人にそんなこと言われたって君自身が納得しなきゃどうしようもないんだけど、さ。
 ごめんね、こんな話して。宙吊りになった空気にたまらなくなって絞り出した謝罪に慌てたように、謝らなくていいよ、そういうパーソナルなこと、話してくれたこと自体は嬉しいし、なんか説教臭くなっちゃってこっちこそごめん、と透き通った声色が余計に所在無くなる。遠くからバイクの音が聞こえてくる。カタン、と郵便受けに朝刊が差し込まれる音がして、それが合図だった。もう結構な時間だね。色々考えこんじゃうのは解るけど、ほどほどにね。じゃあ、明日早いからもう切るね。おやすみなさい。

 そう言って、声が途切れた。