<life>fool</life>

愚者の人生。

 想ったことを口にすると人を傷つけるし、かといって想いを口に出さないことで徐々に腐っていく魂もある訳で、結局のところエゴとエゴのぶつかり合いがコミュニケーションというものであるのならば、誰とも話さず関わらず、一人閉じたまま生きていくのが一番良い、ってそんな訳あるかーい、と思います。

 お互いがお互いのことを傷つけてしまったとして「わたしはこんなに傷つきました」「わたしだってこんなに傷つきました」と、二人ともが自分の傷のことだけを言い合うのは最悪だ。でも「わたしはこんなに傷つきました」「傷つけてしまってごめんなさい(本当は、わたしも傷ついているのだけど)」と片方が我慢をするのは最悪よりももっと悪いだろう。「わたしはこんなに傷つきましたがわたしもあなたを同じように傷つけているかもしれない、ごめんなさい」「わたしは傷ついたけれどもあなたの傷だってひどいものです、ごめんなさい」これが一番理想的だしこういうことしかしていたくない。我慢するのも我慢させるのも嫌だし、自分のことで頭がいっぱいになるのはもっと嫌だ。

 素の自分というのはろくなもんじゃないからきらいだ。ろくでもない自分に対抗するためには常に正しさを追い求めるしかないし、そのように生きる人がすきだ。優しくされるのは苦手だ。人に優しくされるたびに、なんだか自分のろくでもなさを見せつけられるようでつらい。「そのままでいいよ」と言われるよりは「まだ足りぬ」と言われる方がなんだか本当な気がしてしまう。でも本当は心の奥底では所謂「無条件の愛情」みたいなのを求めているのだけれども、そんなものは存在しないし、そのままのろくでもない自分は愛されるに足るにんげんではないと強く思うので、求めるだけ無駄なのだし、そう考えると「無条件の愛情」というのもまたろくなものではないのだろう。

 色々とあって北千住から渋谷まで4時間ほど歩いたおかげで自分の中のモヤモヤしたものが少しだけ整理がついた気がするけど、どうなんだろうな。でも、どんなに遠くても歩けば辿り着くというのが解ったのは良かった。好きな人と好きなもののことだけ考えていたいのに、気がつけば嫌いな人や嫌いなもののことで頭がいっぱいになってしまうというのは、相当苦痛だ。何をしていてもべっとりと離れないからつらいよ。

 通り魔にでも遭わないかな、ってぼんやり思いながら歩いていたけれど、夜道は怖くて警戒して歩いてしまった。どんなにしんどくても、生きる気は失くならない。