<life>fool</life>

愚者の人生。

『おとぎ話みたい』

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 主人公である高崎さんのこころから溢れてはみ出る言葉の奔流は、かつて、今よりもまだ何かを書くことができていたなと感じるあの頃の自分を思い出すようで、観ている間ずっと笑顔になっていた。その恋はどうしようもなく一方通行的で、相手の気持ちなど視野に入れず、それどころか勝手に定義付けまでしてしまい、大きすぎる自意識と強固な思い込みで塗り固められた真っ直ぐに歪なこころの前では現実なんて非力でしかない。世間知らずで何も解らないからこそ手に届くものがあって、あの頃の私には翼が生えていた。高崎さんにも。

 自分の、自分にしか無いもの、実はそれは誰しもが持っているものでもあるのだけど、解らないゆえに気づかない。気づかないからこそ愛せるのだ。狭い、本当に笑ってしまうほど狭い視野の中で、それでもなにか一つでも、この地獄から救い出してくれると思わせてくれる蜘蛛の糸が天から垂れてきたとしたら、それが本当には幾本も見えているうちの一つでしかなくて、この自分の全体重を掛けてしまえば一瞬でちぎれてしまうような非力なものであったとしても、そんなこと解らないし関係がない。その糸だけが輝いて見えるこころをいったい誰に笑うことができるだろう。

 それでもいつかはおとなになって、色んな事が解ってしまう。特別は凡庸で真実はおとぎ話で、一瞬一瞬死に近づいて輝ける時期はすぐに過ぎ去って、屍のような自分が残ってそれでも生きなくてはいけなくて。技術や知識は身についても、その代わりにもう二度と取り戻せないあの翼はいったいどこにいってしまったのだろう。そんな風になってもまだ、私は、あなたは、おとぎ話を信じることができるだろうか。つまらなくて飾り気がなく、けれど圧倒的な現実を受け入れてもそれでも尚、そんなものはつまらないと言い切る強さを持てるだろうか。

 高崎さんの真実のこころの前に、現実は膝を屈するしかなかった。座り込んだあの弱々しさ。それが答えだ。だから私も、もう歌は歌えないし文章は書けないかもしれないけど、それでも生き続けよう。踊ろう。ついてこれる?


 テアトル新宿で19日まで公開してます。是非。

映画『おとぎ話みたい』オフィシャルサイト