<life>fool</life>

愚者の人生。

ファナティックな美しさ

 ファナティックであるものというのはそれだけで他者の心をざわつかせる。『風立ちぬ』の二郎や菜穂子、あるいは『猫の地球儀』の幽や焔、現実世界で言えば何よりも宗教者ルター。ルターの「我、ここに立つ。私には、他にどうすることもできない。」という言葉、ここにある熾烈さはどうしたものか。

 信じるということはもうこれは、どうしようもなく賭けることだ。「間違いなく間違いない」ことなどこの世には無いし、もしあるとすれば、それに身を寄せることなど信じているという言葉には値しない。自分の信じるものは正しいと思う、けれども正しいかどうかは本当には誰にも解らない。他にどうすることもできない。それこそが信じるということだ。

 何かに狂ってしまった人というのは美しい。しかし、重要なのは、美しいことと正しいことは同居もするが相反することもあるということだ。むしろ、正しくない美しさの方がこの世には多い気がする。誤解を恐れずに言えば自分はそういうものが好きだ。けれどもその美しさは同時に儚いものであるし、端的に人を傷つけるし、サスティナブルではない。なので、やはり人は生きていく以上美しさよりも正しさを指向していくべきなのだと思う。正しくない美しさが人生のある一時期必要なものだとしても、最後にはそこから抜け出ていかなければならないのだろう。僕は正しくない美しさをこの世に現出させたくはない。それは幻想や物語の中に大切に閉じ込めておきたい。