<life>fool</life>

愚者の人生。

 我を忘れられたらどんなにか楽だろうな、と思う。人生の早い時期に、自分から離れて鈍くなるという自己防衛法を覚えてしまったおかげで、助かった心もたくさんあるのだけど、それと同時に感情にリアルが無くなってしまった気がする。俺の怒りは本当に怒りなのか。俺の悲しみは、歓びは、苦しみは、本物なのだろうか。
 いつもいつも俺の頭の斜め後ろにはもう一人の自分が居て、そいつが冷めた目でこっちを眺めている。そのせいで俺は俺の感情に集中できない。

 どんなに苦しくても辛くてもその気持ちで死ねる訳ではない。その事実が憎いな。何があろうと俺の命は変わらずに生命活動を続けるんだ。憎らしい。俺には今とても傷つけたい人間がいて、気がつくと頭の中ではそいつをどうやってズタボロにするかを常に詳細にシュミレーションしていて、でも決して俺はそれを積極的には実行しないだろう。その事実が憎いな。偶然ばったり街中で出会ったりしたらその時は是が非でも飛び掛かってやろうと思っているけれど、実際その時がきたとしたら俺は我を忘れることができるんだろうか、とか考えるとなんだか怪しい。言うまでもなく人を傷つけることは悪いことだし、暴力が何かを解決することなんてないし、俺ももう10代とかでもないし立派ではないけれど一応大人だし、手錠をかけられたくはないし、デメリットだらけなのも解ってるし。その他色々な所謂『正論』の前に俺の怒りは怒りのままでいられるんだろうか。正しくないことなんて本当に、解ってるんだ。でもそしたら、俺のムカつきとか悲しみはどこで晴らせばいいのだろう。いつだって傷つけた人間は傷つけられた人間がどれだけ苦しむかなんてことを知ることすらないままに、のうのうと生き延びるんだ。その事実が憎いな。報いを受けるべき人間にしかるべき報いを受けさせたいというだけなのに、どうしてこっちがこれだけ心理的コストを負わなきゃいけないのだろう。といったところで別に誰かに負わされた訳ではないあたりがどうしようもない。

 俺は聖人ではないし間違いもたくさん犯してきたし、ある日突然俺の前に誰かが現れて「私は過去のあなたの行為行動により現在傷ついています。報いとしてあなたを傷つけたいので、傷つけます」と言うならばそれを甘んじて受け入れるだろうと思う。自分がしたたくさんのひどいことというのはいつでも俺の影の中に在って、それは決して消え失せたりしない。忘れているつもりでもひょっこりと、過去のツケというのは顔を出してくるんだ。吐いた唾飲まんとけよってことだ。

 苦しいことが多すぎて、最近は積極的な希死念慮こそ消えてはいるものの、やがて訪れる死を心待ちにすることが増えた気がする。それってなんか、前よりいいのか悪いのか解らんが、まあでもどうせ死なないんだ。何かに殺されるまで死なないんだ。俺を殺してくれるものに早く出会いたいと思う。こんな世界に生きていたくない。俺もお前も汚れている。汚くっておぞましい。

 それでも結局は生きることも愛することもやめられないし、俺を殺そうしてくるものが現れたとて、必死に抵抗するんだろうな、たぶん。どれだけ汚泥に塗れても、決して削れたり奪われたりしない美しきものの存在を信じることはやめられないしやめたくない。つかれるね。

 つかれた、でもがんばるよ。