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<life>fool</life>

愚者の人生。

大森靖子さんのライブのこととかヘイトデモとか水タバコとかただの日記。

 3月14日、恵比寿LIQUIDROOMで開催されたライブに行った。敬愛する大森靖子さんのアルバム「絶対少女」のツアーファイナルだ。ライブが始まってすぐ、メジャーデビュー発表があった。エイベックスからというのがなんとも大森さんらしいなと思った。

 少し時間を戻す。大森さんの音楽に初めて触れたのは1年前くらいのことか。渋谷Village Vanguardのインストアライブだった。当時彼女はアルバム「魔法が使えないなら死にたい」の発売直後、か直前だったかよく覚えてない、CDその場で買ったような気がするから直後か、少し経ってからか、まあどうでもいいか。

 「魔法が使えないなら死にたい」のジャケットが椎名林檎の「勝訴ストリップ」のあからさまなパロディで、それが面白くってまあ聴いてみるか~みたいなノリで、つまりはイロモノ系だと高を括って物味遊山で、あの狭くて小さいステージとも呼べないステージの最前列、大森さんの目の前に腰を下ろした。当然この高を括った態度は一瞬にして粉砕されることになる訳なのだけど、音楽を言語にして表現するのは僕の最も苦手とするところであるから、何故粉砕されたのか、何が魅力的だったのか、そういうことは説明できない。ライブ行けば?って感じだ。音楽を聴きたいなら文字なんて読まないで音楽を聴けばいいのだ。

 ともかくそのときから、ちょうど1年ほどだ。レーベルにも事務所にも属さず1人で渋谷QUATTROを満員にしてたり、新宿ロフト戸川純ちゃん相手に堂々のステージを披露してたり、お金が無いので行きたいライブを厳選して通って、そのたびに心臓を鷲掴みにされて、そんなこんなでメジャーデビューだ。どこまで行くんだろうな。どこまでも行くんだろう。彼女を見つけられて本当に良かったと思った。
 LIQUIDROOMでのライブはバンド形式だった。僕は正直大森さんは弾き語りが一番良いと頑なに思っているところがあったのだけど、そんなどうでもよいしょうもないこだわりを飛び越えて、すさまじくかっこのよろしい音楽を鳴らしている姿を目の前にしてはもうごめんなさいという他にない。アルバム「絶対少女」はカーネーション直枝政広がプロデュースをしていて、今回のライブでのバンマスとしても参加されていたのだけど、この方がまた久しぶりに死ぬかと思うようなギターを弾く方であった。またこのバンドでライブをして欲しいと思った。島倉千代子「愛のさざなみ」をウルトラノイズ歌謡に仕立て上げて演奏していたあの時間は、先ず間違いなく自分の音楽体験の中で忘れられないものの一つだ。ちなみにライブが終演した後、大森さんはいつものように出口に立って観客を見送っていた。メジャーデビューということになっていつまでそういうことが出来るかはあずかり知らぬところだが、やれる限り続けることだろう。

 そういえばこのライブでは、僕を何かと慕ってくれるともだちが来ていた。生きるのが辛いという、愛すべき人間だ。そういう奴がこの日のためにただそこで鳴る音楽を聴くために生き延びて、遠路を越えてライブハウスに足を運び、そして音楽に触れて、一瞬の祝祭を胸にまた明日を迎えていく。とても尊く素晴らしく愛すべき出来事だと思った。太宰治は「着物を貰った。夏まで生きようと思った」というようなことを書いていたが、生きるということは突き詰めるとそういうことだろうと僕は思っている。藝術は命に直結する。そういう音楽を鳴らす人を僕は好きであり続けるだろう。そいつとは、お互いようよう生き延びて、またライブに行こうと約束した。そういう約束もまた、人を生き延びさせるものになる。

 その後一日寝て、3月16日に池袋で行われたヘイトデモのカウンターに足を運んだ。ヘイトデモについての説明は去年書いたこちらの記事を参照して欲しい あれからかなり時間が経って、新大久保でのデモこそ無くなったものの、デモ自体が消え去った訳ではない。今回は豊島区公会堂でヘイトデモ側の集会があり、その後デモという流れ。カウンターはこれを囲みデモを中止させようという趣旨であった。今発生しているカウンターは欧州でのANTIFA(Anti-facismの略)運動を教科書にしているところがあって、今回は4年前、ドイツのドレスデンで起きたネオナチデモを止めた人間の壁を踏襲しようということだった。

Documentary film 13.02.2013 Nazifrei Dresden Antifa blockade Hbf - YouTube
 デモ開始は16:30とのことだったが、過去の経験上道路封鎖などで現場近くに近づけなくなる心配もあったので、お昼ごろには豊島区公会堂前の公園に着くようにした。時間が経つにつれてカウンターとおぼしき人々が増えてはいくものの、今回もまたデモ自体の中止は望めないだろうな、と思った。
 デモ開始の時間が近づき、隊列が抜けてくるであろう通りの辺りに陣取った。機動隊はいつもながらガッチリと目の前でカウンターを抑え込んでいる。そのうちに、何度聞いても慣れないあの街宣車のスピーカーからの口上が耳に入ってくる。やっぱりそうなんだな、と思った。中止にはならない。だったら叫ぶしかない。それからは特に言うこともなく、いつものように走ってデモ隊追っかけて、機動隊に抑え込まれながら、街に奴らの声が届かないようにすることだけだった。ちょっと違うのは、街の人の目が以前よりカウンターに対して理解・共感してくれているような空気を感じたことくらいか。ほんとうのところはどうか分からないけど。
 当日の映像はコチラ。長いので空気感だけでも。個人的にはラスト1分くらいのカウンター参加者と機動隊の対応を見ると色々考えさせられるものがある。

在特会デモ 池袋 豊島公会堂 2014/3/16 - YouTube

 日付変わって3月17日は友達2人と渋谷の水タバコカフェに行ってひたすら超下らない話をして帰った。友達Kくんがセックス強者・セックス弱者という概念を提唱していた。彼はセックス強者になりたいらしい。たいへんなことである。このKくんとは以前デパートメントHという古今東西選り取りみどりの性嗜好を持つ紳士淑女が寄り集まるファッキンクールなイベントに乗り込み、二人して多大な敗北感を得て帰宅したことがある。僕たちは思っているよりノーマルだし、自分の性嗜好について突き詰めて考えていないし(考える必要というか考えていきたいかというとそこは個人的には微妙なところなのだが)とにかくまあ世界は広い。色んな人がいる。ちなみにデパートメントHは、色んな人が否定されずに伸び伸びと楽しそうにしていて、とても良いイベントだった。あとはアナと雪の女王が観たいとか、プリンセスと魔法のキスのホタルの下りがマジで泣けるから観ろとか、パンズラビリンスは良作か否か、とか。3人とも映画が好きなのである。ダラスバイヤーズクラブのレイヨンの美しさのこととか話した。水タバコは初めて吸ったけどとても美味しかった。その後、宗教についての真面目な話になってたりもしたけど、なんだか集中できなかったので2人の語るのをぼーっと聞いていた。家に帰って、集合前に渋谷紀伊国屋書店で購入した「九月、東京の路上で」を少し読んで、淡々ととてもヘヴィだったのでゆっくり読むことにして寝た。そんな三日間。

九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響

九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響

 好きなやつと好きなアーティストのライブを聴いて、許せないものに怒り、またすきなやつと好きなものの話をする。そんな感じでこれからも生きていきたいなあ。お金がほしい!