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<life>fool</life>

愚者の人生。

なぜ行動保守のデモとカウンターアクションが「どっちもどっち」では無いか。

 (若干の修正をしました。2014/06/19)
前回の記事、たくさんの人の目についたようで、読後の意見は別として、まずは有難うございます。
 コメントの方もたくさん頂きました。この記事では幾つかのコメントで見られた「どっちもどっち」じゃないか、といったような意見に関して、私見ではありますが返答をさせて頂こうと思っております。宜しくどうぞ。
 結論から。どっちもどっちではありえません。何故ならば、行動保守の言動はそれが差別主義に基づいたものだからです。
僕含めカウンターアクションをしている人々は明確に「行動保守のデモや言動は人種差別である」と認識していると思います。ここの認識があるかどうかで問題への見方が変わってくると思います。僕は前回の記事で「行動保守には一部の理も無いと思っている」というようなことを書きましたが、それもひとえに彼らが人種差別主義に基づいた行動をしていると見ているからに他なりません。ですので、逆に言えば「行動保守の言動は人種差別ではない」または「人種差別それ自体が否定されるものではない」と言うような理論を持ってくる以外に彼らの行動を正当化する術は無いと考えています。

 前回の記事のコメント欄では「向うも反日的な態度をずっと示してきた」ということを行動保守擁護の理由に挙げている方が多くいらっしゃいました。ですがそれは筋の通らない話でしょう。それが差別をしていい理由になるなら詳しく教えて貰いたいものです。1つ勘違いしないで欲しいことがあるのですが、僕は実体から眼を背けるなとは言ってません。目を背けることが正しいことだとも思いません。抗弁するべきことには抗弁するべきだし、無条件に隣国を愛せ、全てこちら側に問題があるのだ等とは思っていません。そこまで博愛主義、自虐史観を持っている訳ではないですよ。

 例えば行動する保守のデモではしばしば「拉致被害者奪還」を旗印に掲げています。けれども、これはしばき隊リーダーの野間さんが行動保守の方々の集会にて、彼らとの討論で言っていたことでもあるのですが、真に「拉致被害者の奪還」を願っているのであれば新大久保でそのようなデモをやることに意味は無いでしょう。何故なら新大久保に暮らす在日コリアンの多くはニューカマーなのだから。韓国も北朝鮮からの拉致被害に遭っています。

もし「拉致被害者を返せ」っていうことを北朝鮮の政府に要求するんだったら、韓国人とは当然共闘しないとおかしいですよね?どっちも被害者なんだから。なのにニューカマーしかいない新大久保に行って、「朝鮮人は死ねー」とか言ってるのって、 明らかにつじつま合わないし無茶苦茶でしょ、政治的には。むしろ「何でそんなことしてるの?」って、僕らは聞きたいですよね。

 討論会での野間氏の発言そのままの引用です。行動保守のデモの目的がどこにあるか、なんなのかが、あぶり出されていますね。

 逮捕者が出ていることについて、書かなかったことにツッコミを受けてますので書きます。確かにカウンターと行動保守の間でぶつかり合いが起こり、双方逮捕者が出ているのは事実です。カウンター側4人と行動保守側4人、併せて8人の逮捕者が出ています。6月16日のことです。報道もされました。6月16日は僕自身抗議しに行きましたが、逮捕を知ったのは帰り道の途中でした。憂慮すべき事柄ではありますが、自分の調べたところこの逮捕に関してカウンター側が先に手を出したというような情報は見受けられませんでした。このことに関しては、逮捕という事実だけを見るのではなく逮捕に至るまでどういう経緯があったのかを確認するべきかと思います。

 強調しますが、カウンターの意志を持つこと=しばき隊を全肯定することでなくてもいいのです。他にも色々やり方はあります。行動保守は悪いが威圧的なしばき隊にも問題がある、だからどっちもどっちだと、そこで止まらないで欲しいのです。結局それは差別を容認することに繋がります。重要なのは個々人の意志です。これを読んでいるあなたが、差別を許すか許さないか。それだけの話です。自分なりのやり方で良いからこそ、様々な人々がカウンターに集うのではないかと思っています。先に引用したようにカウンター側の人々はデモへの抗議のみをやっている訳ではなく、彼らの集会に参加して討論をしたりしています。デモ参加者と個人的に接触を持って説得をしたり、都内ではこの問題を考えるためのイベント等も行なっています。対して行動保守側は、カウンター側と個人的な交友を持ったものの次回デモ参加を禁じたり、カウンター側主催イベントへの出演オファーを断るなど、先鋭化の一途を辿っているように思えます。

 様々な事柄を包括的に考えたとき、本当にどっちもどっちと言えるのか。その言葉を発するということはただ「思考することを放棄した」という宣言にしかならないのではないでしょうか。前回記事で書いたように、人種差別主義というものは人類全体として世界的に撤廃をしなければいけないと考え目指しているものではないのでしょうか。差別的な意識から人間が解放されるには一朝一夕というようにはいかないというのも事実でしょう。人の内的な心情を物理的に縛ることなど不可能だから。
 では、この不可能性を前に我々は項垂れて何もしないでいて良いのでしょうか。抗わないことが大人の態度なのですか。自分に害が無いというただそれだけで、斜に構えて対岸の火事のように眺めていることが大人の態度なのでしょうか。それこそ少し頭の良い中学生ぐらいでも出来るような幼稚な態度を取ることが。

 繰り返しになりますが、行動保守の活動は結局どこまで言っても人種差別と嫌がらせです。その前提を、どうぞ崩せるものなら崩してみて下さい。明確に「彼らの言動は人種差別ではない」或いは「人種差別それ自体否定されるべきものではない」という理路を以って説明できる方がいれば、どうぞその理路に基づき行動保守を支持し、発言し、世に問うてみればいいのではないでしょうか。前者はまだしも後者は可能なんじゃないですか?『私は人種差別主義者です』と自己を規定して発言されるなら、内容はどうあれまだ覚悟の程は伺えますし。

 最後に、しばき隊やそれに限らずカウンター側の著名な方々についての嫌疑がある方は僕に聞かずに本人へどうぞ。僕はカウンター行って帰るまで、基本的に誰かとお話をしたりすることも無ければ、どこかの団体に所属したりすることもありませんので。主要な人物に関しては全員何らかの連絡手段がネット上に公開されていますし、礼節を忘れなければ充分に接触を持つことは可能でしょう。礼節を忘れなければ。
 それと同じように、無いとは思いますけど僕個人と話をしてみたいというならば、コメントでやり合っても無駄ですので電話かskypeか、都内近郊でしたら直接会うのでも構いません。twitter及びtwitterのプロフ欄にメールアドレス書いてあるんで、連絡してきて下さい。
 自分の意志に依って、誰かの言葉に惑わされずにきちんと受け取り、考えて、そして自分の為すべきことを為して下さい。僕はそれを望みます。