<life>fool</life>

愚者の人生。

6/16 新大久保にて。

 6/16の新大久保反韓デモに抗議の意志を込めて行って来ました。

 前回の見学から色々と思うことはあったし、そもそも自分の現状を省みるにもっと他にやるべきことがあるだろうがと思うには思うのだけど、どうにもね。家で寝ててももぞもぞするだけなので。

 さて今回のデモ、さしたる変化は見られず、差別的言動、コール、前回行ったときと何にも変わっちゃいなかった。

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 これは当日撮った写真。こういったプラカードを掲げた参加者たちが、在日コリアンの住む街を練り歩く姿は端的に異常だ。

 断っておくが僕は特定の政治思想を持っている訳ではない。日韓問題なんかも正直そんなにしっかりとした認識や自分の意見なんてものは持ってない。だが、それでもこれはおかしいだろうという人間の感性は持ち合わせている。僕がこのデモに対して執心しているのはそこ一点だけである。などと書くと決然とした意志を持ってデモ或いはカウンターに参加している者からすれば「甘い」ということになるのだろうが、そんなもん知るかと言わせて頂きたい。

 人種差別はしてはいけない。それははっきりとした現代社会、ひいては世界の認識だろう。個人が韓国という国に対してどう思おうが知ったことではないが、反韓感情は在日コリアンを排斥しようと喚くことと全然関係が無い。根拠にならない。正当性は無い。ただそれだけのことだ。

 人は生まれつき不自由を背負う。出自などその最たるもので、日本人に生まれたくて日本人に産まれる者も、韓国人になりたくて韓国人に産まれる者も、アメリカも、イギリスも、世界のどこを見渡そうが自分の産まれたい国に産まれた者などいやしない。全くもって選択肢など存在しないのだ。たとえ俺が今からアメリカに行って帰化しアメリカ国籍を手に入れたとしても、それでも尚体に流れる血は入れ替わらない。肌の色は白くならない。喋れる言葉も変わらない。人間は皆、そういう不自由を背負いながら産まれた場所で産まれたいのちを精一杯生きるだけだ。

 現代民主主義の大原則はこうだ。
 「全ての人は生まれながらにして自由であり、尊厳と権利において平等である」
 途轍もない不自由の上に生まれながら、ついに人間はここまできた。先人がどれだけ血を流し、どれだけ苦しみながらこの一文を作り出したか。だがあのデモの存在を許してしまったら。即ちこういうことになる。今尚この一文を冠するだけのものを、我々は持っていないのだ、ということに。そしてまた、実際そうなのだとも思う。言葉に追いつくまでのものを我々は持っていない。我々は今もなお民主主義の途上にある。言葉はいつも「今」より背伸びをするものだからだ。だから追いつかねばいけない。先人の血と苦しみの闘いを踏みにじるようなあのデモを、許してはいけないと思う。

 通名が気に食わない、なるほど。在日特権が許せない、なるほど。それは良い。どのような思想を持とうがそれは制限されるものではない。だが、その思想を盾に特定の民族への排斥運動を始めたら。それはもはや言論などではない。しかるべきときに、しかるべき場所で、しかるべき方法をとって自らの思想を社会にぶつければいいだけの話なのだ。それは日曜日、誰もが幸せな時を過ごすために訪れる平和な町に大挙して、にやにやしながら汚い言葉を吐き散らすことではないだろう。

 今回のデモで、デモ参加者とカウンター参加者の双方が逮捕された。幸いにしてカウンターの方は釈放されたようだけれども、どちらも逮捕者が出たことは喜べる話ではない。ここまで来てしまったのかと思うし、ここまで来なければいけなかったのかと思うし、おそらくまたデモは起こるだろう。ここまで来てもまだ、起こるだろう。今回のことでニュースでも大きく報道された。これを機に、新大久保で何が起きているか、同じく関西でも何が起きているか、まずは知ってほしいと願う。最悪のことが起こる前に。

 1つ報道のされ方に納得がいかないことがあって、どこのニュースを読んでも「デモ側と対立グループの衝突」と書いてあるのだけど、僕の見る限りカウンターに参加している人々は一枚岩ではない。実際僕だって、どこかの団体に参加している訳でもなければ顔見知りがいる訳でもない。ただ一人の人間として抗議の意を示しているだけだ。その場に立って、ああしろどうしろなどと統制された覚えは無い。もちろん様々なグループが居るのは知っているけれど、大多数の人々は各々の手段でデモを知り、各々の主義思想によって、各々の方法であのデモに抗議しているだけだ。一連の出来事に対してそこの部分というのはすごく重要だと思っている。何かに拠らなくてもいいのだ。自分一人の意志を示すことは大切なことだよ。安易に何かに拠るよりも、ずっと良い。

 僕ははっきりとあの反韓デモを自分の問題として受け止めている。どこかで誰かがやってるバカなこととして遠目から眺めることはできない。そんなバカなことで傷ついている人がいるからだ。そんなバカなことを容認すれば、それは後々自分や自分の周りの誰かの首を締めることに繋がりかねない。多分これを読んでる人は、ほとんどが僕より人間できてる人とか社会的地位のある人、余裕のある人だと思うから、どうか少しだけでいいから、あのデモのことを「自分とは関係ないどこかで起きているなにか」だと思わないでほしい。そう思ってしまったら、それは自分の立つ地盤を放棄することと同じだと思うからだ。

 民主主義は今もまだ我々の手には無い。今は最高の時代ではない。発展の臨界点ではない。ひいひい言いながらやっと入り口に立っているくらいのところだ。そう思うから俺はこれからも自分なりにじたばたするけど、俺はそんなに立派じゃないし頭も悪い。だからさ、どうか優秀な人たちよ。あなたの優秀さをあなただけの為に使うのは止めてくれると有難い。どうせいつか死ぬんだからさ。自分の幸福なんて、いつかは泡と消えるんだ。入り口から、一歩でも前に進むためにその力を使って欲しいと俺は願っています。