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<life>fool</life>

愚者の人生。

『許されざる者』

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~あらすじ~
19世紀末のアメリカ、ワイオミング。かつて冷酷な殺人鬼と恐れられたウィリアム・マニーも今は足を洗って静かに農場で暮らしていた。そこにある日、若いガンマンが賞金稼ぎの話を持って現れる。生活に窮していたマニーは再び銃を取る。旧友で相棒のネッド、若いガンマンを連れて街に向かうマニー。だがその頃、街では治安を守るため、保安官ビルがやってくる賞金稼ぎを片っ端から袋叩きにしていた。シネマの見地より)

 クリント・イーストウッドという男の魅力に気づくのが遅すぎたなあと最近考えている。僕の中でのイーストウッド像は、よく知りもしないままに変な感じに固まっていて、簡単に言うと俳優兼監督やってる巨匠っぽいジジイくらいにしか思ってなかった。大間違いだった。
 「ジャンゴ 繋がれざる者」を観てから西部劇というものに興味を持って色々調べてみた。そしたらイーストウッドの名前が出てきたのである。西部劇というジャンル映画を支え続けたスター、それがイーストウッドだった。いけ好かない優等生だと思ってた奴が意外に尖った奴だった、みたいなそういう気分に陥った僕は、俄にイーストウッドに興味を持ち始めた。「ダーティー・ハリー」と「グラントリノ」を観てガツンとやられ、「インビクタス」を観て監督としての手腕にやられ、ほんともうイーストウッドさんすいませんでしたと平身低頭の思いの中、最後の西部劇とぶち上げたこの「許されざる者」を観た。ぶっ飛んだ。クリント・イーストウッドはバケモノだと思った。「許されざる者」は映画好きなら誰もが観るべき傑作である。ここから先はできるだけ気をつけるが、ネタバレも辞さない。ネタバレしたところでこの映画の素晴らしさは露ほども覆らないからだ。観てない人はできればね、今すぐブラウザを閉じてレンタルショップへ行ってこい!!!



 イーストウッドはキチガイである。そして変態である。世の中にはキチガイぶってたり変態ぶってたりしてエキサイティングなことをする奴が山ほどいるが、そんなものとは比べ物にならない。奴は本物だ。なめていた。

 今作に出てくる人間たちに善なる者はいない。そしてまた、悪なる者もいない。誰も彼もが表題にある通り『許されざる者』だ。
 イーストウッド演じるウィリアム・マニーは、過去血も涙もない悪行の数々を尽くしたガンマンである。妻になる娘と出会い、先立たれ、今は幼い娘と息子を抱えてしがない暮らしをしている。豚を追って泥だらけになったり馬に乗るのも覚束ないその姿は、過去イーストウッドが演じた「荒野の用心棒」や「ペイルライダー」「ダーティ・ハリー」等で格好良く活躍した主人公たちのその後を思わせる。そんな老いさらばえたマニーのもとに若いスコフィールド・キッドが儲け話を持ってくる。
「ある街で牧童2人が娼婦をナイフで切り刻む事件が起こった。顔を切られ、目を抉られ、乳房も切り取られたのに保安官の裁量は馬7頭を娼館に支払えというだけだ。娼婦たちは牧童に賞金を掛けた。その額は1000ドル」

 映画の冒頭でその事件が映されるのだが、ここで言われている程の凄惨な事件ではない。勿論顔を切り刻まれ傷つけられたのは本当なのだけど、目は抉られていない。乳房も。キッドがその話を聞いた時点で、もうすでに尾ひれが付きまくっているのだ。
 誇張されたその事件の概要を聞いて、マニーは自分の息子と娘のためにもう一度銃を取ることを決める。だが彼は悔いている。過去を悔いている。再び銃を持ち人を殺すことを怖れている。先立っていった妻のことを思っている。旅の道行きの中、昔の仲間のネッドと連れ立っているときも、夜キャンプをするときも、マニーは過去を思う。人を殺した自分と、自分に殺された人を思う。モーガン・フリーマン演じるネッドは、マニーを気遣い明るく振る舞うのだが、そんな慰めには意味が無い。キッドは年若くアウトローに憧れているから、マニーの過去をお伽話をねだる子どものように聞き出そうとする。マニーの苦悩はそのまま数々のダーティなヒーローを演じてきたイーストウッド自身の苦悩だ。キャラの苦悩と演者の苦悩がそのまま重なる前半部は、人生を映画に捧げた人間の持つ重みを十二分に感じさせる。
 同時並行で描かれるのは町の様子だ。マニー一行より一足早く、イングリッシュ・ボブという男が現れる。まさに「映画」に現れるような軽妙洒脱な男だ。彼はご丁寧に伝記作家を連れていて、自分自身の武勇伝を語って聞かせている。ボブは物語の主人公になろうとしているのだ。
 保安官であるダゲットは、よそ者が街に銃を持ち込むことを禁じている。彼は「物語の主人公」ぶる人間や「賞金稼ぎ」なる人種を激しく憎んでいる。そういう人間たちはいつだって街を荒らす者でしかないから。平安に物語は必要ないのだ。映画中盤で描かれるダゲットとボブの邂逅は、これは是非実際に観て確認して欲しいのだけれど、イーストウッド自身のどこまでも実直であるが故の頭のおかしさが存分に現れていると思う。ヒーローを演じ続けた人間だからこそ、ヒーロー的な者の欺瞞に気づいている。洒落た暴力シーンなどは無い。暴力はただ暴力で、それは陰惨なものだ。

 マニーは禁酒している。スコールで冷える体を温めろとネッドが差し出すウイスキーを、彼は拒否する。土砂降りの中町に着いた一行は、娼婦たちから話を聞くために娼館へ足を運ぶ。ネッドとキッドは部屋に上がるがマニーは下の酒場で待つだけだ。妻に操を立てるために。そこに保安官一行が現れ、マニーは暴力に晒される。ただでさえ雨に打たれ消耗した体を打ちのめされて、彼は生死の境を彷徨うことになる。
 一度死の淵に立つことでマニーの中の苦悩は一度昇華する。罪を受け止めそれでも生きるしかないことに気づいた彼は、牧童を殺したことで震えているキッドに声をかける。
「酒を飲め」
 キッドは自分に言い聞かせるように言う。
「あんな奴は殺されて当然さ!」
 マニーはそれに重たく応える。
「俺たちも同じだぞ」
 そんな二人のもとに驚くべき情報がもたらされる。その瞬間、マニーは昔の彼に戻るのだ。おもむろにキッドが持っていたウイスキーを受け取り、口にする。そこにいるのは同じ人間だが、もう違う。なんという眼をするのだ。あんな眼が、演技とはいえ、あんな眼をすることができる人間は頭がおかしいよ。
 そしてマニーは町へ戻る。マニーの視点で揺れるカメラ、投げ捨てられる空になったウィスキーのボトル。これから行われる凄惨な暴力のことを思っても尚、このカットがもたらす高揚感は途轍もない。そこからラストまでは語るべきこともないだろう。人が人を殺すだけだ。正義もなく、悪もなく、選択だけがそこにある。観るものがそれに対してどう感じるかは自由である。

 俺はマニーが好きだ。悩み苦しみ、それでも銃を取らずにはいられない、酒を飲まずにはいられない、殺さずには許せない愚かで正直で残酷なマニーが大好きだ。それはつまり愚かで正直で残酷なイーストウッドが大好きだということである。
 マニーは死ぬまで苦しみ続けることだろう。それでも俺はやはり、選べないよりは良いと思う。白黒で測れるものなど本当は無いが、それを知って尚、白と黒、どちらかを選択するしかない。選択できない者は、ただ逃げ惑うだけだ。それは何よりも醜い。俺はそう感じる。許される者などいない。ただ生きるだけである。
 そのうち「グラントリノ」をもう一度観ようと思う。あれは「許されざる者Ⅱ」だ。俺は「許されざる者」では泣かなかったが「グラントリノ」では吐くほど泣いた。そういう映画が創れる人間が素晴らしくないわけがないのだ。

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