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愚者の人生。

『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』

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~あらすじ~
メリーとラリーとディークが車で逃げる。

 愛聴しているウィークエンドシャッフルというラジオ番組があって、その中のコーナー「映画駄話」シリーズの「映画の終わり方特集」で紹介されてた一本をDVDで鑑賞した。
 この映画はちょっと変なアメリカンニューシネマなんだけど、その「ちょっと変な」部分がラストに集約されててすごく面白かった。でも多分これ観たら「時間の無駄だったわー」とか言う人居るんだろうなと思うし、実際そういうレビューもあったよ。なので積極的にオススメはしません。ただ僕はこういう映画を楽しめる人が好きだ。


 そもそもアメリカンニューシネマって何?って人のために少し説明してみる。
 1960-1970年くらいにかけて制作されたアメリカの映画には特徴があって、

  1. 反体制的な人間が主人公であり
  2. 個人対体制という設定が置かれ
  3. 基本的にアンハッピーエンドで終わる

 というようなものが非常に多い。こういう作品群が作られた背景には、ベトナム戦争へのアメリカの軍事的介入によって、国民の自国に対する不信感が高まったことが挙げられるんだけど、そこら辺は僕もあまりきちんと調べてないので詳しくは語れません。
 アメリカンニューシネマの代表作品として挙げられるのは「俺たちに明日はない」「イージーライダー」「ワイルドバンチ」「カッコーの巣の上で」「タクシードライバー」等々。1つでも観たことある人だったら「あーそういう感じね」というのが解ってもらえるかと思う。

 ここまで書いてるとなんだかアメリカンニューシネマには一家言ある人みたいだけど、僕は実のところアメリカンニューシネマが好きじゃなかった。というか今まで無意識的に観るのを避けてたジャンルである。大学一年生くらいのときに「カッコーの巣の上で」を観てハートフルボッコにされたのがその理由。でも「ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー」は面白かったよ。「ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー&ディーク」じゃないのがちょっと不満だが。

 ラリーは空虚なレーサーで、ディークは空虚なメカニックだ。その空虚は何で埋まるのか解らないけれど、ともかく再スタートを決めるために手っ取り早く強盗を企てる。金さえあればなんとかなると思うからだ。二人とも基本的には気のいい男なので、誰かを傷つける手段は使わずに、上手いことスーパーの売上金を奪う。メリーは存在そのものが空虚な一人の女だ。刺激を求めて、刺激がその空虚を埋めてくれると思って二人の逃避行に参加する。つまりは三人ともどうしようもないバカなのだ。

 行き詰まったバカ三人が金を奪いシボレーで逃げる。パトカーがそれを追う。彼らに悲壮感は無い。ラリーはケラケラ笑っている。ディークはムスッとしているだけだ。メリーが色々とめんどくさいことをして、その度に足手まといを食らったりするけど、ラリーもディークも本気で激昂したりしない。全部が全部冗談みたいで、なんだかもうこっちもニヤニヤしてしまう。ちっとも格好良くない。公開当時はカーアクションが話題になったらしいが、今観ると特筆することも無い。パトカーがガンガンクラッシュしていく姿は痛快だけど。

 劇伴音楽も鳴らずに、ただ車のエンジン音が響く。どうしようもない三人がアメリカの広大な道路を爆走する。全然格好良くないはずなのに、なんだか楽しくなってくる。三人のことが好きになってくる。とてもとても刹那的だけど、それが良い。それだけで良い。
 別に何かを学べる訳でもないし、教訓めいたこともないけど、それだけが映画じゃないし、それだけが人生ではない。言った先から忘れそうな言葉を連ねながら、話題をループさせながら、夜から明け方まで友達と過ごすような、そんな映画もあっていいだろ。それを無駄という生き方なんてクソだ。あとラストね、本当にこれが口ポカーン→爆笑→拍手って感じで、タランティーノが「デスプルーフ」を撮ったときにこの映画のことが頭にあったってのが納得の素晴らしいものでありました。映画館で観たかった。

 太宰治の「女生徒」という小説に『純粋の美しさは、 いつも無意味で、無道徳だ』という一節があるんだけど、アメリカンニューシネマってそういうことなんじゃねえかなと思う。それに、成功者ってのは常に一握りで敗残者ってのは山盛りだ。山盛りのクズに光が当たることがあったっていい。そこから新しい価値が産まれることだって、あるよ。坂口安吾は「文学のふるさと」の中で言う。
『むごたらしいこと、救いがないということ、それだけが唯一の救いなのであります』
「私は文学のふるさと、或いは人間のふるさとを、ここに見ます』
 だからこそこうも言う。
『アモラルな、この突き放した物語だけが文学だというのではありません。否、私はむしろ、このような物語を、それほど高く評価しません。なぜなら、ふるさとは我々のゆりかごではあるけれども、大人の仕事は、決してふるさとへ帰ることではないから』
『だが、このふるさとの意識・自覚のないところに文学があろうとは思われない。文学のモラルも、その社会性も、このふるさとの上に生育したものでなければ、私は決して信用しない』

 「ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー」は別に素晴らしい感動を与える映画作品じゃない。でも、そこには人間のふるさとがあると思うのです。

ダーティ・メリー クレイジー・ラリー [DVD]

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