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<life>fool</life>

愚者の人生。

彼の話。

 友人の話をしよう。

 私の友人にWという男が居る。この男とんだ放蕩者であり、煙草は吸うし博打は打つ。酒だけは何やら体質で呑めないらしいが、そもそもが常日頃からそこらの酔漢よりも非道い世迷言を吐いているので、結局は呑んでいるのとさして変わらぬ。
 そもそも世になぜ酔漢が許されているか。それは彼らが真面目に額に汗して働いているからだ。耐え難き労働を耐え抜いているからこそ、それが終わったのち酒に酔える。仲間たちと酒を呑み笑いあうことが許されているのである。
 ところがWは仕事をしていない。働きもせず、日がなゲージュツとやらに心を傾け、それでいて何を創るでもなく、好きな映画や音楽を見聴きしてはあれが良いこれは悪いなどとまるで評論家にでもなったが如くの口ぶりである。まさしく酒を呑まぬ酔っ払いの姿だ。なんとも始末に悪い。とはいえ私の見立てでは、これでWが酒まで呑めるようならば、そのうちに吐瀉物喉に詰まらせ窒息死、といったような冗談にもならぬ事件が起きないとも限らない。それでなくともまず間違いなくアル中にはなっているだろう。いや、もういっそのことアル中になってそのまま病院に送られ白い部屋で一生を過ごす、くらいの方が彼にとっては幸せなのかも知れぬ。
 こう言うと聴衆の皆様方は、そのように好き放題生きている男、もとより今以上の幸福は無いだろうと不思議に思うかもしれないが―――
 この男、ちっとも幸せそうに見えないのである。いつも何かに鬱屈している様子なのだ。
 カネがないからだろうって?いや違う。地位が無いから?それも違う。今からそのお話をさせてもらおう。

 まずカネの話だ。このWという男、金持ちになりたいという欲が無い様子なのである。その昔彼がまだ真面目に働いていた頃、そう、彼にも働いている時代があった。とはいえ何か大きな仕事を任されるでもなく、言われたことをただこなしているだけだったようだし―――勤務態度もあまりよろしいものではなかったと聞いている。彼より後に仕事場に入った者が、彼より給料を多くもらうようになっても、さしてそれを気にしている風でも無かった。
「おいお前、悔しくはないのか。お前より年下の者があっという間に昇給しているようじゃあないか」
「いや良いんだよ。俺はどうも社長に嫌われているようだ。片思いというのも辛いものだね」
 苦言を呈してみてもこのような様子である。生活のため金のため、時に意に沿わぬことでもやってのけるのが成熟した大人というものだろうと思わずにいられないのだが、この男は変に意固地なところがあるのだ。お聞きの方々の中には「見上げた根性である」等と彼に対して間違った認識を持ってしまう人もいるだろうから、彼の名誉(或いは不名誉)の為に一つ付け加えさせて頂こう。見上げた根性、確かにそういう面もあるにはあるのだが、そもそもWは不真面目なのである。時間を守るという意識や責任感といったものが希薄なのだ。そう言った不真面目さを覆い隠すためにあえて意固地なフリをしている、という訳でも無いのがWの始末に悪いところなのである。全くもって、観察している分には面白いが、彼の親族なり少しでも深い付き合いを持つ者にとっては、こんなに扱い辛い人間も中々いないことだろう。
 つまりこのWという男は、金のために何かにおもねる事もできず、自分自身の意志に殉ずる厳しさも持たず、のんべんだらりと日々を過ごしている怠け者なのである。おおよそ人間という物は、自己意志と社会との板挟みの中で、各々の幸福の筋道を選択して掴み取っていくものだろう。その選択によって、ときに自らの意志を曲げたりしながら、それでも唇噛み締め前に進んでいくものではないか。ところがこの男はその選択がまるでできないのだ。いや、おそらく私が思うにW自身、自らの理想に殉じたいと思っているはずである。ただしその方法が分からない。その道筋が見えない。そもそも彼自身に見えていないのだから、脇にいる私がどんな助言をしたところで、彼の心中に届くものではないのである。

 一昔前、彼はぽつりと私に言った。
「このまま誰にも知られずに名も無い一人の人間として死んでいくのは耐えられない」
 普通は地位の話になれば、出世したいであるとか社長になりたいであるとかそういう発想になるのが普通だと思うのだが、彼のこの口ぶりでははまるで教科書か何かにでも名が載る人間になりたい、と言っているようである。滑稽と言わざるを得ない。万事が万事こんな風で、他人から見れば実に地に足が着いていないのがこの男の最大の欠点なのである。或いは彼にとっての真実、現実という物が我々のそれと食い違っているのかも知れぬ。そうだとしたら、それはとても悲劇的でありまた喜劇的である。
 そういえば、話していて思い出したのだが、彼とつい先日久しぶりに会ったとき彼はこうも言っていた。
「昔、誰にも知られずに死ぬのは嫌だと言ったことがあるよな。最近そうでもないと思えるようになってきたんだ」
 彼はそれだけ言って晴れやかに笑っていた。だが少し寂しそうでもあった。本当に、何を考えているのかさっぱり分からぬ男だ。お聞きになっている皆様方の中に、彼という人間を解き明かせる人がもし居ればと思ってお話を始めたし、なんなら直接ご紹介したい気もするのだが―――私自身彼が良い人間なのか悪い人間なのか判然とせぬ部分があってどうにも難しい。

 私個人は、彼とは物心ついたときからの腐れ縁であり、今更切って切り離せる人間でもないので良いのだが、どうも彼は他人からの好悪の評価も激しいようで、お集まりの皆様方の中にもし彼のことが気に食わぬと思う方がいらっしゃったら、これからも彼に関するつまらぬ話を続けさせて頂くことをどうかご容赦願いたい。そしてもしまだWの話が聞きたいと仰る物好きな方がいらっしゃるようであれば、また後日、ここで、同じ頃に。