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愚者の人生。

『ジャンゴ 繋がれざる者』 暴力、残酷描写の意味は

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~あらすじ~
ディープサウス。解放奴隷のジャンゴ(ジェイミー・フォックス)がドイツ系賞金稼ぎのドクター・キング・シュルツ(クリストフ・ヴァルツ)と共に、サディスティックでフランスかぶれの農場主カルヴィン・キャンディ(レオナルド・ディカプリオ)に立ち向かい、奪われた妻のブルームヒルダ(ケリー・ワシントン)を救おうとする。(wikipediaより)

 吉祥寺バウスシアターにて、クエンティン・タランティーノ監督最新作でありアカデミー脚本賞を受賞した「ジャンゴ 繋がれざる者」を観てきました。3時間弱という長尺の上映時間、最高の映画体験をさせてもらったと思います。終映後、すぐさまもう1度頭から観直したい!と思ったのは久しぶりです。と思ったけどこれより前に観た「ぼっちゃん」もそうだったなあ。今本当に良い映画ばかりスクリーンに掛かっていると思うので、是非劇場へ足を運んでみてはどうでしょうか。

 本編の話に入る前に、散々語り尽くされたことではありますが、舞台背景などについて少しだけ。
 西部劇、観たことありますか?今作は西部劇、中でもマカロニ・ウェスタンと呼ばれるイタリア製西部劇へのオマージュがふんだんに盛り込められた作品になっています。ちなみに僕は西部劇ほとんど観たことありません。「3時10分、決断のとき」くらいしか観たことないです。(名作だよ)
 つまり何が言いたいかっていうと、別にオマージュ、パロディ元が分かんなくったって最高に楽しめるので気にしちゃだめよってことです。実際問題、今作は西部劇の体裁を取っていながら、従来の西部劇と決定的に違っているところがあります。それは何か?主人公ジャンゴが黒人だということです。黒人が主人公の西部劇は基本的にはありません。

 今作の舞台はアメリカ南部、奴隷制のはびこっていた社会です。1619年から1865年までの間、アメリカでは黒人は白人に奴隷として使役されていました。我々の生きる2012年からわずか147年前、アメリカの地では黒人奴隷たちが人間としての権利の何もかもを白人の手によって奪われていた。その事実だけ知っていれば、この映画を楽しむことは充分に可能です。

 タランティーノは前作「イングロリアス・バスターズ」でナチスに迫害されてきたユダヤ人に寄り添い、彼らに一つの「映画的勝利」を与えました。僕はこれを単なる慰みであり無意味な物であるなどとは決して思いません。終わってしまった出来事を物語の力で甦らせ、決してあり得なかった勝利を描くこと。それが藝術の力じゃなくてなんだというのでしょう。

 タランティーノと言うとB級映画の監督であるとか、スプラッタ描写を好むキチガイであるとか、そういうイメージを持っている方は少なくない。そして実際その通りでもあります。けれども、それだけじゃないんです。少なくとも「ジャンゴ 繋がれざる者」や「イングロリアス・バスターズ」では、藝術で歴史を凌駕するなどという、どこまでも不可能な戦いに挑んでいます。たった一瞬でも観客にその夢を体感させるのだ、という確固たる壮烈な意志に満ちているのです。なめんなよマジでタランティーノをよ!

 はい、という訳で、繰り返しになりますがそう遠くない過去に奴隷制がアメリカに存在したということを知ってればいいです。あともう一つ、アメリカ資本の映画において、奴隷制を真正面から描く映画作品は「ジャンゴ 繋がれざる者」が創られるまで、「マンディンゴ」という一本の映画しか無かったということも知っていると尚いいです。

 ここからは本編の話、まずは長尺について。長いです。前作も長かったけど今作はさらに長いです。けれども僕は「イングロリアス・バスターズ」鑑賞時に感じたダレ感を今作にはあまり感じませんでした。あんまり無駄が無いんだと思います、「ジャンゴ」には。全ての要素がどれを削っても良くない。あとはタランティーノと言えば長々とした会話劇が特徴なのだけど、前作においては正直クリストフ・ヴァルツの一人舞台感が拭えないところがありました。ブラピもイーライ・ロスもいい顔してたけど、ヴァルツが強烈すぎて、ね…。
 けれども今回のキャスト陣はジェイミー・フォックスもディカプリオもサミュエル・L・ジャクソンも、そして勿論クリストフ・ヴァルツも、完璧と言って良い演技をしているので、そのへんが関係しているのかも知れません。

 「イングロリアス・バスターズ」で、「ユダヤハンター」ハンス・ランダという魅力的な悪役を演じたクリストフ・ヴァルツですが、今回は全く逆のキャラを演じています。主人公ジャンゴに人権を初めて与え、友人として接し、闘い方を教えこむ相棒、ドイツから来た歯医者兼賞金稼ぎのドクターシュルツ。彼は奴隷制を嫌悪しており、一見して清廉な人物として描かれています。けれども面白いのは単なる善玉という訳でもないところですね。
 この時代の南部では荒くれ者たちに賞金が掛けられています。DEAD or ALIVE。生きてても死んでてもいいからとっ捕まえて来い、というこれもまた奴隷制と一緒で現代の感覚から見れば無茶苦茶に感じる法です。けれどもドクターシュルツは奴隷制は嫌悪しても賞金首に対する慈悲は無いのです。殺します。残酷に。暴力によって撃ち殺します。そしてその死体を売り、金を手にします。そういう姿を見て、観客は価値観を揺さぶられます。一方で奴隷制の残酷さを映し出し、またもう一方では賞金首を殺すジャンゴとシュルツの残酷さを映し出す。奴隷制は絶対にダメだけれど、じゃあ二人の戦いの旅を完全に肯定することが出来るのか?理性はそれを拒否したがるけれど、画面上に映し出される二人をどうしても応援してしまう。僕はこれこそが映画の醍醐味だと思うのです。

 人は矛盾します。正邪ははっきりと決められる物ではない。けれども人の生において、誰もが喜び親しむような善なるものに触れる機会は多くあっても、その逆は違います。人は醜く、時には同じ人間を物のように扱います。人は人を殺します。歴史がそれを証明している。であるのに、現代の社会においてそれを本当の意味で実感することは我々には難しいです。殺人鬼がその辺にうろうろいたら困るし、戦争が起きるのはご勘弁願いたい。
 だから映画でそれを映すのです。藝術がそれを映し出すのです。スクリーンに映し出される光景に対して観客は何もアクションを起こせません。ただそこにある陰惨な画を受け止め、その意味を考えるだけです。感動作で涙する人は残虐描写で怖れるのです。怖れて欲しいから映しているのだと僕は思います。現実に、絶対に在ってはいけないことだから。

 残虐だから良くない、陰惨だから良くない。ふざけんじゃねえよと思います。残虐で陰惨なのが人間でもあるのです。それを否定することは人間を否定することです。そんなに素晴らしい生き物ではないです、人間は。
 wikipediaで「アメリカ合衆国の奴隷制度の歴史」を閲覧してみて下さい。実際に鞭打ち刑を食らった黒人の背中の写真があります。時にこういうことをしてしまうのが人間なのです。

 ジャンゴが自分の妻(といっても正式な夫婦ではありません。奴隷時代のジャンゴには結婚する権利も与えられていません)に鞭打ち刑を加えた白人を見つけ、鬼のような形相で復讐をするシーンがあります。そこで僕は、スカっとする意趣返しの気持ちよさを感じると同時に、いいようのない哀しみをも覚えました。タランティーノがもし上辺だけの人物だったら、もっとサラっと格好良く描写するはずなのです。けれど彼は違う。暴力の怖ろしさを本当に知るからこそ、観客の期待を一身に請け負う正義の味方ジャンゴやシュルツが振るう暴力をも、陰惨に描写するのです。

 けれどもそうやって善悪の彼岸を行ったり来たりして終わらせはしないのがまたタランティーノでもあります。ネタバレになるのでここは劇場で確認して欲しいのですが、ディカプリオ演じるカルヴィン・キャンディとドクターシュルツが対峙し、緊張が飽和するその一瞬。シュルツは何を言い、どう行動するのか。それこそがタランティーノの思いであると私は読み取りました。何故ならば、この「ジャンゴ 繋がれざる者」という映画そのものの立脚点はそこにこそあるのだから。虐げられてきた黒人たちの怒りを、哀しみを、痛みを、死を思い知らせてやりたい。現実ではそんなことは決してしてはいけないが、これは映画なのだ。
 何が正しく何が悪か、そもそもそれは単純な二元論では語れない事柄なのだけど、それでもタランティーノは、シュルツは、選ぶのです。そしてその選択に後押しされ、ジャンゴもまた立ち上がる。だから、そこからクライマックスまでは迷いがありません。考えに考え、それでも結局活劇であることを、娯楽映画であることを選ぶタランティーノの真摯な姿勢に僕は映画愛を感じずにはいられないのです。そういう意味で今作はハッキリと立場を表明しています。書かずともどういう方向に進むかはお分かりでしょう。それが受け入れられそうになければ、無理に観る必要もないかとは思います。

 まあそんな感じで今更な講釈をたらたらと長いこと垂れ流しましたけど、単純にこの映画面白いですよ。笑えるし、俳優はいい演技してるし、バッチリな劇伴音楽にカッコいい編集。そして最高に最高な爆発。爆発なんですよ、うん。
 「ジャンゴってどういう映画?一言で言って」
 「爆発だよ(確信)」
 これでいいんです、良くないけど。

 ちなみにバウスシアター、僕が観た回ではところどころ笑い声が起きていました。そういうのも含めて映画なので、是非映画館で。
 芝居の面では皆良いと書きましたが、クリストフ・ヴァルツが抑え目になった代わりにディカプリオとサミュエル・L・ジャクソン!この2人が揃って悪役をやるというのも中々観れるものではないでしょう。もはや僕の中でディカプリオは車の窓曇らせながらイチャコラしてるジャックくんでは無くなりましたし、サミュエル・L・ジャクソンはもはや熱弁したあとサメに食われるおっさんじゃないです。あとちょっと樹木希林に似てます。マザファッカ!

 あとはそうだな、エンドロールが終わるまで席は立たない方がいいです。鑑賞前にタランティーノの顔を覚えといた方が良いです。最高のカメオ出演してますので。三銃士の主人公の名前も知ってますよね。うん、そのくらいで良いです。別に西部劇予習なんてしなくても楽しかったから、だいじょうぶ。
 と言った感じで、「ジャンゴ 繋がれざる者」は映画を愛しその力を何よりも信じることを選んだ男タランティーノがぶち上げた一大傑作でした。色眼鏡無しで、是非観に行ってみてはいかがでしょうか。