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<life>fool</life>

愚者の人生。

『桐島、部活やめるってよ』

邦画・か行

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~あらすじ~
とある田舎町の県立高校映画部に所属する前田涼也は、クラスの中では地味で目立たないものの、映画に対する情熱が人一倍強い人物だった。そんな彼の学校の生徒たちは、金曜日の放課後、いつもと変わらず部活に励み、一方暇を持て余す帰宅部がバスケに興じるなど、それぞれの日常を過ごしていた。ある日、学校で一番人気があるバレー部のキャプテン桐島が退部。それをきっかけに、各部やクラスの人間関係に動揺が広がり始めていく。

 ※基本ネタバレしないように書いてますが、物語上ここは明かされてても楽しめるだろうと思うポイントについては遠慮無く書いてますので、些細なことでも知りたくない!って場合は読まないでね!!

 SRシリーズの、ちょうど1と2の合間に観た作品。ケレン味を感じる表題にちょっと敬遠気味の気持ちを抱いていたのだが、実際観てみるととんでもない傑作青春群像映画だった。先入観って奴は人の目を曇らせていけませんね、ほんとに。

 いきなり個人的な話になって恐縮なのだけど、僕は自分の高校時代に対してどこか暗澹たる思いを抱いているところがある。人はあまりにも辛い過去があるとその出来事自体を忘れてしまうなんて話があるが、僕にとっては高校の三年間がまさにそれだ。あるいは辛かったというよりも空っぽだったのかもしれないが、思い出せる出来事がほとんど無い。冗談抜きに、あの三年間は僕の人生にとって空白だ。そして「桐島、部活やめるってよ」は、その忘れていた空白期間を、ほんの少し思い出させてくれる映画だった。

 「スクールカースト」という言葉を聞いたことはあるだろうか。学校内で形成される社会的な序列をカースト制度になぞらえた言葉だ。アメリカではその階層ごとに「ジョック」や「クイーンビー」「ナード」といった名称が付けられていたりもする。今作は、そういうどこにでもある当たり前の現象が起きているある高校で起きた事件、些細なことだが当事者たちにとっては大きな事件を、それぞれの視点から反復して描く群像劇だ。その事件こそがタイトルである「桐島、部活やめるってよ」なのである。

 桐島という男は劇中出てこない。これは別にネタバレという訳でもないし、心に傷を負って部活も辞めるし学校来なくなってた桐島クンが紆余曲折を経て部活辞めないことになって学校にも来るようになったよー泣けるーキャー!みたいなそんなクソみたいな映画じゃないので言っていいことだと思うんだけど、最初から最後まで出てこない。今作が描くのはあくまで、桐島の不在という事件を登場人物たちがどう受け止めるのかということだ。
 桐島の人物像は、それ以外の登場人物によって語られる。バレー部のキャプテンであり、学校一の美少女を彼女に持っていて、誰もが話題にする人気者、前述したスクールカーストに当て嵌めれば桐島こそが頂点の人物であるように思われる。友達でいることが、彼女でいることがそのままステータスになる男、バレー部の結束を一身に担う男、そんな桐島は言うなれば登場人物の中で誰よりも物語の主人公に相応しい。そういう主人公の不在を描くということは、そのままこの映画が描こうとしている主題に繋がる。その時点で今作は凡百の似非青春映画とは別の次元にある。そしてまた、スクールカースト物の映画というと、序列的に弱者であるグループが強者グループにスカっとするような逆転を食らわす、といった物が想像されるだろうが、そういったファンタジー映画という訳でもない。

 今作は群像劇であり、登場人物それぞれの視点から適切な距離感をもった演出がなされている。そのため、ことさら弱者グループを持ち上げることも強者グループを下げることもせずに、登場人物をある種淡々と描写していく。その絶妙な撮り方こそがこの映画の魅力の一つだ。SRシリーズ、特に1を映画的にブラッシュアップしたらこうなるのかなと感じる。というか僕は、観た時期が近いこともあるだろうが、この映画が言わんとすることと「SR サイタマノラッパー」が言わんとすることが大きく類似しているように思うのだ。

 すなわちこの映画もまた「成功する物語」ではない。描かれているのは誰もが一度は経験した、あるいはこれから経験するだろうリアルな学校生活である。更に言うと「学校」という狭い社会で描かれる人間模様は、そのまま観る者の現在の生活と何かしら合致するのではないかなあ。我々は誰しもが序列や地位を作り上げ、その内の何れかに自分自身を規定し規定されながら日々を生きている。そこに生まれるある種の残酷さをこの映画は描いているのだ。
 僕は学校が嫌いだ。だって学校というのはこの序列の残酷さがもっともハッキリ現れる場所ではないか。クラス全員が一丸となって協力しあい、誰もが誰もを認め合ってみんな仲良しで大団円、なんてそんなのは夢物語だ、少なくとも僕にとっては。なので今作で描かれる学校生活それぞれの立場から見た「痛さ」の描写は大いに共感できるものだった。
 前述したように、僕は高校時代の記憶がほとんど無いのだが、例外もある。その例外の一つがある日の通学路だ。僕の通っていた学校は坂の上にあって、その途中にはまた別の高校がいくつかある。なので坂の麓から見上げると、本当にたくさんの高校生たちが、群れをなすように登校する姿が見られる。当時僕は、なんつーかまあ嫌なやつで、ざっくり言うと周りの人間が皆嫌いだったしバカだと思って見下していた。そんなだから楽しくないので、学校は行ったり行かなかったり。けれどもある日、何の変哲もないいつもの通学途中、坂を登っている生徒たちを下から見上げて「ああ、この中で一番バカなのは自分だなあ」と気づいたのだ。このときの衝撃といったらまあ、リアルに膝から崩れ落ちそうだった。今にして思うと、何故自分が周りを見下しバカにしていたか、その理由ははっきりと分かる。それは僕自身が学校社会の持つ残酷さに向き合う覚悟も順応する覚悟も持っていなかったからだ。僕は学校から逃げていた。
 この映画に出てくる登場人物たちは、それぞれの立場で悩み苦しんでいる。序列が上の者も、中間の者も、下の者も、それぞれの場所でそれぞれの思いを抱えながら日々を生きている。それはあの頃の僕が抱いていた悩みであるし、あの頃の自分自身でもあるし、同時にあの頃僕がバカにしていた同級生一人ひとりの姿でもある。普遍的な高校生、その人物像を役者と脚本と演出の力で、エンターテイメントに昇華している手腕は見事という他ない。

 この映画の素晴らしいのは、残酷な日常の中で桐島の不在という変化を通して学校社会の残酷さを映し出しながら、そこで終わらないことだ。観ている間「痛いな辛いな苦しいな、この物語はどこに帰着するのだろう」と呻いていたのだけど、その分ラストシークエンスは凄まじく感動的だった。
 桐島の親友であり桐島に負けず劣らず何でもできる男、野球部の宏樹。スクールカーストの最下層に位置しながらも、好きなものを創るために全力を注ぐ映画部部長の前田。この二人が劇中唯一対峙し、交わす会話がそれだ。
 宏樹は何でもできるが何もしない男だ。彼には打ち込むべきものも愛する物も無い。空っぽである。対して前田は冴えない男だが映画に対する愛だけは嘘がない。この二人が最後に交わす会話、これにはほんとに頭をガツンと殴られたような衝撃が走った。こんなに現実的な話があるだろうか、でもそれこそが一番の強さであり、大切なことなんだよなあ…。

 よくある学園青春ストーリーを期待すると間違いなく肩透かしを食らう。実際公開直後は「結局何が言いたかったの?」という声も多かったようだ。でもね、映画にしろ何にしろ、物語というものは一から十まで説明をしてくれるものばかりではない。むしろ観た後それぞれの心のなかで咀嚼しながら一つ一つの意味を考えていく、それこそが物語に触れる上での楽しさだと思うのだ。こちらに考える余地を与えてくれない映画は無粋だ。そんなのは面白くない。「結局何が言いたいか」なんて一人ひとりが己の胸の内に作り出せばいいのだ。そういう何かをこの映画は間違いなく与えてくれるはずだと僕は思うよ。間違いなく、観客の想像力に負けない強度を持った作品だ。

・ちなみに、映画好きにはこの映画、更に楽しめると思う。前田が映画部顧問に「半径1メートルを描け」と言われ、反論する場面。ゾンビ映画が僕にとってはリアルなんだ!って叫びが胸を打つよねえ…。ゾンビってのは、比喩なのだよ。

・僕は基本的に登場人物全員にくまなく自分と重なるところがあったけど、面白いことに一番重なったのは宏樹だったりする。

・自分は宏樹と違ってスクールカースト上は最下層どころかその中にすらいませんでしたけどね…